3月の下旬は、ふたりの親のお祝いごとに、帰省をした。
お彼岸の週末は、沖縄。
おしゅうとめさんのトゥシビー(生年祝)である。
本土では70歳でお祝いをするけど、沖縄では、干支の生まれ年で
お祝いをする。丑年生まれ、よって数え73歳の祝である。
おしゅうとめさんは、私がとても尊敬する女性のひとり。
前向き。ホメ上手。人のいいところを見抜く天才。
若くして夫を亡くした後も、女手ひとつで子供4人を育て上げ
60歳を超えても、ずっとアメリカ軍の基地の中で理容師として
一日中、立ちっぱなしの仕事をしていた。しかも英語で。
髪振り乱したワーキングウーマンという感じでもない。
生活の中に自然に「はたらく」ことが入っていた。
しかもイキイキと。
楽しそうにイキイキとはたらき続けるということは
私のテーマでもある。
1週間後のこの週末は、千葉。
私の実家の父の古稀の祝いである。
何を隠そう私は、小さい時にこの父が苦手で仕方なかった。
父とふたりきりにされると、泣いたそうだ。
「泣くな!」と怒られると、さらに恐くて泣いた小さいころの私。
父はエンジニアで仕事ひと筋だった。
単身赴任先の広島の病院で、大腸癌で父が入院したとき、
私は大学4年生で自分の母校の中学校で教育実習のまっさい中だった。
何がなんだかよくわからなく頭が混乱して、実習が終わって
2週間後に久しぶりに大学に行ったら、15キロやせていて
友達にビックリされた。
退院して千葉に戻ってきて自宅療養していた父に、
教員採用試験の勉強をしながら、消化に良い食事を
作っていたことを思い出す。
あのころから、自然に父とフツーに話せるようになった。
父は、すっかり癌を克服した。再発もなかった。
やがて、仕事に復帰をし、
退職後の今は、科学館や博物館で来館者に対して説明をする
ボランティアをしている。
仕事ひと筋の父が、退職後はどうなるのかと心配もしたが
本人が選んだ道は、私から見てもなるほどねぇと納得がいくものだ。
自分の好きな科学を、相手に合わせて話して説明していく。
「来る人のレベルが毎回違うから、どのレベルで話すべきか
ボランティアとはいえ、難しいことなんだ!
こんなことぐらいわかっているよ、失礼な!という人もいれば、
常識程度の知識も知らない人がいる。
相手が違うから、どうやってあわすのか大変なんだ!」
と力説しながら、そのくせ自慢している父を見ると
私の仕事にも通じる点があるのかなぁとも思う。
身の回りには、実は人生の先輩がたくさんいる。
私が70代になったら、何をしているだろうか?
とにかく、今は
自分にできることを精一杯していこうと思う。
posted by waiwai at 23:49|
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こんなこと考えてます。
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